つれづれなるままにいぃぃぃぃいいいい

就活を終え暇を持て余した学生が日々の退屈に挑む体験記

社会にもまれて

メンタルがやられてるなと思う。

学生時代はこんなことはなかったけれど

やはり社会人

といったところだろうか。

 

結局コミュティないの変なプライド的なものが勝手に生まれてきているような気がする。

 

要は自分の居場所が確立されていないときにこんなふうに感じるのかもしれないが、

誰かに認めてもらいたいとか、

自分をちゃんと見ててほしいとか、

どちらも同じことなのかもしれないが

単純に1人の人として認識されているかどうかだと思う。

 

ぶっちゃけ誰でもいいけど人数合わせの存在としてここにいるような気がして、

それであればぼくでなくてもいい気がして、

じゃあなんのために存在しているのかも不鮮明になっているような気がしてきて、

自分が見えなくなってきている。

 

そんなときに無償の愛だとか、

ただ受け止めてくれるような人がそばにいてくれれば

きっとぼくは満足するのかもしれない。

 

身勝手な発想だけれど、

そんな弱い生き物だし辛い。

 

助けてと言いたいけれど。

そんな重いことを気安く言える人は近くにいなくて、

言ったとて

どうしようもない返答がくるたびに

そうだよね

と返すしかなく、なにも変わらないしなにも救われない。

 

言葉で人を救う

というのももしかすれば限界があるのかもしれないとすら思う。

言葉の羅列で感情を動かすことはすごく好きだけれど、

そんなことは

 

とても難しい。

 

人に言われる言葉は、今のぼくにとっては誰からもらった言葉かがとても大切なことだと思う。

 

その人から言ってほしい言葉をもらうということは強いエゴだし、

そうしてほしいという強い自己承認欲求がそこにはある。

 

押し付けという言葉が1番合うようなニュアンスだ。

 

いくらぼくが言葉を吐きだしたとしても決して満たされるものではないこの感情は

そういうものだ。

 

 

大切な人からの大切な言葉をもらいたい。

そんな大切な人が見つかるのだろうか。

 

そんな夢みたいな話があるのだろうか。

 

 

ギターが趣味です。

 

今日、会社の同期の家でギターを弾く機会があった。

彼はアカペラをやっていて、曲を弾いてくれと言う。

ぼくは任せてくれと言う。

 

ぼくはこの半年で今までおざなりにしてきた音楽の勉強をしてきた。

半年なんて期間は人がなにかを習得するには十分過ぎる時間だと思う。

 

でもぼくはそこで恥を晒した。

彼の期待に応えることもできなかった。

 

単純にぼくは下手だ。

知識もない。度胸もない。技量もない。

だからぼくは恥をかいた。

 

人に求められるものと、

自分が求めるものは違う。

でもそれは土壇場では言い訳にしかならない。

 

できるかできないか。

0か1かだと思う。

 

それで言えば今日のぼくは0だ。

彼の時間は有限にもかかわらず、

そんなことは知っていたにもかかわらず、

本当に申し訳ない。

 

だからもっと、

なにをしたいか。何者になるのか。

大切なことを見つめて生きていきたい。

一人暮らし

一人暮らしを始めた。

 

ちょうど2週間。

実家に帰ってきた。

 

夜、ぼくが帰ると、

いつも通りお母さんが布団から起き上がって、階段の上から「おかえり」と声をかけてくれる。

部屋はぼくがいた時よりも綺麗に片付いていた。

インスタントラーメンの量も減っていた。

冷蔵庫の中にリンゴジュースが2本。

それだけでなく心なしか中身の風通しが良くなっている気がする。

 

気がついたら寝ていたようだ。

朝、リビングのソファでやかましい声で目を覚ます。

20数年聞いてきたわけだからすぐにお父さんだと気づく。

 

起き上がると

いつも通りお父さんの小言がうるさい。

いつまでもイライラするところをついてくる。

もうわかってるからやめてほしい。

しかもそれにお母さんはいつも便乗してくる。

 

 

昼ごろになってうどんができたとお母さんがぼくとお父さんを二階に呼びにくる。

 

「いまいく」とだけ伝えて、

少しだらっとしてから腰を上げる。

お父さんはいつも通りそれよりも遅く動き出すだろう。

今日は日曜日なのにどうせパソコンと睨めっこをしている。

 

休日の退屈なテレビを横目にうどんを食べて手を合わせてから席を立つ。

お父さんとお母さんは特に意味がない会話をしている。

 

大量の荷物を抱えて出ると伝えた。

 

結局だらだらして13時を大幅に回って家を出ようとすると、

どうやらお母さんが駅まで送ってくれるらしい。

ありがたい。

車が出るタイミングで珍しくお父さんが玄関まで出て見送ってくれた。

 

大袈裟だよ

と思いながら照れ隠しもあって一言だけ捨て台詞を吐く。

「いってきます。」

 

 

矜持

今日、友人と言い合いをした。

柄にもなく言い張ってしまった。

ただお互いの畑が違ったことが原因で始まったことだった。

 

短い話ではあるが、

それは競争心だったのかプライドだったのか

 

結論としてはプライドだった。

別に彼に対して勝とうという意識はなく、

自分の中のものを守ろうという意識、

つまりプライドで言葉を返していた。

 

いま、

なぜか、後悔している。

 

自分をさらけ出すことが苦手、嫌いだからだ。

 

ただあの時に言い返さなかった方がいまのぼくは辛かったろう。 

 

大切なものは守る

それ以外はなんでもいい。

 

極論だがこの意識は持ち合わせていきたい。

大切なものだけは確実に守れるように。

全て

「それじゃあ、それが1番大きいの?」

「そうだよそれが世界で1番大きいんだ。」

「どうしてそれが世界で1番大きいってわかるの?」

「それはそれが世界で1番大きいって決まっているからだよ。」

「世界で1番大きいって決まっているとそれが1番大きいってわかるの?」

「そうだよ。まだだれもそれを見ていないのにそれが世界で1番大きいものだってわかるんだ。」

「なんでまだだれもそれを見てないのに世界はそれが大きいことをしってるの?」

「それが世界から生まれたからだよ。」

普通であることの必要性

共同体の中で、特に社会的な共同体の中で常に求められるものは「普通」であることであろう。


友人関係の中でも当然求められるが、
拘束力が比較的薄い友だちという間柄では、
自然と「普通」が、つまり最低限の価値観が似通ったものが集まっているように感じる。

 


繰り返しになるが
コミュニティに求められるものは「普通」であることだ。
コミュニティに求められること、
それはつまり
他者に求められることだ。自分ではない何者かにその人の価値観の上で利用価値があると判断されることだ。

 


よく教則本や教則動画の類を見ると
自分やその他のユーザーに良い評価をされるものは「わかりやすい」という点で人気を集めているように感じる。


昨日見たギターの教則動画では、
まさにぼくが疑問に思っていたことを、いままさに必要だと感じていたものを説明していた。


それは画面の中の彼はギターを学ぶ上で「必要である」と経験上知っているものを
動画として配信しているわけで、
「必要である」と感じる価値観は
彼自身の経験に基づくものだと考えて相違ないものだとぼくは考える。


その動画が人から評価を受けるのは
「必要である」と感じる価値観こそが
その類の動画を視聴するユーザーたちの中でも「普通」として認識されているからに他ならない。


ときにだれがが似たようなことを言ったが、
人から評価を受けるにたる存在の最低条件は凡人であることである
ということに通じる。


今でこそプロになった彼も
かつて凡人であったからこそ、
彼の配信する動画は多くの必要を求められているのだろう。


友人関係であれば、
「普通」の価値観を自分勝手にアップデートしたとて
今ある友人関係すらもアップデートしてしまえば
なんら問題は生じない。


一方で、コミュニティを離れる理由として「普通」の価値観の相違を振りかざせない場合、
自分の置かれる場が変わろうとも、他者の状況を汲み取り、「普通」の認識を理解しなければ他者から必要とされる機会は、そうでないときに比べて少ないものになるだろう。


その離れがたいコミュニティとは
言わずもがな会社を含めた集団を指している。
会社で必要とされる人材であるために、会社の「普通」を理解し、取引先の「普通」を理解し
それに迎合することこそが良い評価を得る王道だろう。


もちろんそれが最低条件であるということを忘れてはならない。

水に流す

大概ここに書き込む時は地元の河川敷にいる。

 

河川敷に来るときは往々にして天気がいいときだ。

まあそれはそうだろう。

 

でも来るときは大抵何かしらのマイナスの感情がたまっているときだと思う。

 

全部海まで流してしまおう。